子供の誕生を前にして男というものはすぐに父親になれないという話がある。
よくよく納得できる話だが、女性側のこんな心境をつづったエッセイがあった。
実際、わが子に始めて授乳したときの、あの恐ろしさはなんだろう。(中略)自分の無力さを突き付けられるような、人間としての最も重い責務を背負わされたような、途方もない気持ちに陥るのだった。もしかしたらそれは、悲しみと名づけてよい感情だったかもしれない。
小川洋子の『深き心の底から』からの抜粋である。
これを読んで僕はなんだか少し安心したのだ。母親だってうろたえるんだ、と。
たしかに”子供をもつ親”に変化していく実感は女性のほうがリアルで段階的だと思う。日に日に大きくなるお腹の子の重み…それは女性でしか得られない至福の時間、というようなイメージが何となくあった。
しかし”恐ろしさ”、”悲しみ”という言葉で、生まれた子と向き合うことも母親にはあり得るのだ。誤解のないようにしておくと、小川先生は出産に悲嘆していたのではなく、子供が無条件の喜びを与える存在ではないことをすでに予感していたのである。
子供の可能性の大きさにたじろぐのは、父も母もきっと同じなのだ。
要は、その子と向き合い続ける覚悟をするかどうかであって、男には海ちゃんの父イサム君のような不器用な覚悟も時にはあるだろうから、世の妻や母の皆さんにはどうぞおてやわらかにお願いしたいと思った次第。
要は、その子と向き合い続ける覚悟をするかどうかであって、男には海ちゃんの父イサム君のような不器用な覚悟も時にはあるだろうから、世の妻や母の皆さんにはどうぞおてやわらかにお願いしたいと思った次第。
感想回をアップした後にタイトルは「そして、父になる」でも良かったかなあと思ったのだが、結局やめた。同名の映画は絶対に見たら泣くと思ってまだ見ていない。いつか紹介できる時が来るといいですなあ。(タナカ)
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